月刊グリ、2007年11月号(100号)
<月刊グリトップページへ>
緑区、豊明いまむかし

 今回は「いまむかし」シリーズの最後として、これまで本欄で紹介したものの中からいくつかを紹介したい。もはや存在しないものもあるが、見ることのできるものは一度足を運んでみてはいかがだろう。(記事へのリンクは別ウィンドウで飛びます)

雉本博士像
雉本博士像
(緑区浦里町・浦里公園)
大正6(1917)年に起きた鳴海小作争議で、小作人の側に立った地元出身の京都帝国大学教授・雉本朗造(きじもと・ときぞう)博士の像。6年にわたった争議は全国的にも有名になり、結局、地主が譲歩する形で決着した。しかしその前年、博士は旅先の船上から転落死。銅像は博士の死を悼んで小作人たちが建造したもの。
●記事(4号/1999年11月号)
 
今川義元の木像
今川義元の木像
(緑区有松町・長福寺)
永禄3(1560)年5月19日に起きた桶狭間合戦で戦死した今川義元の木像。義元の茶坊主・林阿弥が、後に供養のため寄進したといわれる。桶狭間合戦の古戦場跡については、緑区有松町桶狭間説と、そこから1キロほど離れた豊明市栄町南館説の2つがある。豊明側がいち早く申請したため、「伝説地」として国の指定を受けている。
●記事(7号/2000年2月号)
飾り門
飾り門
(緑区有松町・有松小学校)
昭和初期に流行した表現主義建築のひとつ。現存するものは珍しく、有松小学校が昭和2(1927)年に校舎を改築した際に建てられたという。同校に残る写真には、ここから登下校する児童たちの姿が写されている。
●記事(9号/2000年4月号)
NHK桶狭間放送
NHK桶狭間放送所跡
(緑区有松町桶狭間)
昭和4(1929)年に設置されたNHKのラジオ放送所跡。かつては巨大な放送用の鉄塔も立っていた。宅地化で出力増強が困難になったことなどから、昭和58(1983)年に閉鎖された。NHKが名古屋で最初にラジオの試験放送を行ったのは大正14(1925)年。開局当初の聴取料は1カ月2円、聴取者は3,291人だった。
●記事(96号/2007年7月号)
御田植祭
御田植祭
(大高町火上山・氷上姉子神社)
氷上姉子神社で6月の第4日曜日に行われ、早乙女たちが舞を踊りながら田植えをする。収穫した米は熱田神宮の神事などに使われるという。同社は、仲哀天皇4(195)年創建と伝えられ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻・宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祭神としている。
●記事(16号/2000年11月号)
「保育発祥地」の碑
「保育発祥地」の碑
(緑区大高町・明忠院境内)
明忠院の境内にあり、「愛知の保育 此処に始まる」と記されている。大正10(1921)年、農作業中に放置された幼児を見て、当時の住職が本堂で農繁期の幼児保育を開始。翌年、託児施設「子供の家」を建設した。戦後は愛知県第1号の保育園として認可。創立50周年記念に、愛知県知事の題字で碑を建立した。
●記事(72号/2005年7月号)
奉安殿(ほうあんでん)
奉安殿(ほうあんでん)
(緑区大高町・大高北小学校南)
学校で天皇・皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物。祝賀行事などの際には、生徒全員が奉安殿に向かって最敬礼し、教育勅語が朗読された。写真は大高尋常小学校にあったもの。戦後、地中に埋められていたのを掘り出して修復した。
●記事(86号/2006年9月号)
伊勢湾台風浸水位標識
伊勢湾台風浸水位標識
(緑区大高町・津島社境内)
昭和34(1959)年9月26日、名古屋地方を襲った超大型台風・伊勢湾台風の浸水位標識。矢印は当時のこのあたりの水位(2.5メートル)を示している。当日は名古屋港の満潮時と重なったため、各地で堤防が決壊し、5,012人の死者・行方不明者を出した。
●記事(51号/2003年10月号)
 

 



この記事の左側にメニューページの表示がない時や、もっと記事を読みたい時は、ここをクリックして、月刊グリのトップページに飛んで下さい。
月刊グリロゴ <月刊グリトップページへ>
月刊グリは名古屋市緑区周辺と愛知県豊明市の中日新聞に折り込まれる月刊タブロイド型新聞